君とまどろみ

いつも眠たそう

このブログについて

 

このブログを始めてからもうすぐ2ヶ月。ありがたいことに毎日どこかの誰かがアクセスしてくれていることがうれしいです。ありがとうございます。今回はこのブログについて書きます。ブログをはじめたきっかけは、日々の暮らしで思ったこと、ふと降りてきた言葉がわたしのなかでとどまって、ほとんどが消えて(忘れて)しまうことに切なさと一種の恐怖を感じたからです。それらは昇華されずにどこにいってしまうのだろう。わたしはツイッターの140字ですらまともに文字にできないくらいなので、文章を書くことが得意なわけではないです。でもわたしが感じたままの言葉で残しておきたい。手からこぼれてなくなってしまう前に、誰かに伝えたい。そう思ってブログを細々と運営しています。

ブログをはじめてから、ほかの方のブログを読む機会が増えて、中学生のころpeps!とか魔法のiらんどとか、個人HPが流行っていた頃を思い出しました。当時は好きな音楽を共有できる友達が周りにいなかったため、よくネットの掲示板を利用して友達をつくって、その子の個人HPから交流したり、情報を交換したりしていました。一緒にライブにいったこともあったな。そのころから、きっとこういう、人が綴った文章を読むことが好きだったり、ブログというカルチャーが好きだったんだな、と妙に腑に落ちています。

 

最近のわたしは、生きたいと死にたいが交互に顔を出します。原因はいくつかあるのだけれど、この波をコントロールできずに、眉間にしわを寄せて、泣く時間は本当につらい。(死にたいとき、抱え込みすぎているときは、過食傾向にあるので、ぷくぷくしていたら、そっと寄り添ってくれるとうれしい。)そういう絶望のなかにも、そのときにしか感じられないことや残しておきたい言葉があるんですよね。まあでも、死んじゃっても誰かに気づいてもらえるくらいには、もう少し生きてわたしが生きていた証というか、なにか誇れるものを残したい、と思っているので当分は死なないと思います。

 

最後に話を戻します。

このブログ「君とまどろみ」隣で寝息をたてる”君”を起こさないようにそっと頭をなでる、いとおしくて、なにものにも変えがたい、あいまいでやわらかい、まどろみのなかで感じたことを忘れないように、と思いをこめて名付けました。ここでいう”君”は実在するようで形を持っていません。それが誰だとかそういうのではなくて、そのひとときの感情を残すための”君”。だからこのブログの記事たちは創作かもしれないし現実かもしれない、といったスタンスであることを前提に今度ともご愛読いただければと思います。いつもありがとう。あなたが綴った文章もいつか読ませてほしいな。

 

いとおしいまだ見ぬ”君”へ

2021/1/24 リリィ

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