君とまどろみ

いつも眠たそう

類は友を呼ぶ

 

 誰かの日常のなかにわたしが登場するととてもうれしい気持ちになるので、先日会った友人について書き残しておこうと思う。

 

 類は友を呼ぶ、ということわざがあるように、私の周りにはそういう友人が多い。れんげもそのうちの一人だ。

 わたしたちは毎日連絡をとっているわけでもなければ、同じ空間にいてもずっとくっついているようなよくある女友達の関係ではない。ふとれんげに会いたくなる、この話をれんげに聞いてほしいなと思うときがある、そういう友達。わたしがラインの履歴をずいぶんとさかのぼってメッセージを送ると、「昨日ゆりちゃんからもらったお香を焚いてたよ」と返ってきた。逆もまた然り。連絡をとりたいタイミングも似ているんだと思う。

 

 れんげとはこの4月に出会った。彼女はMVを撮りたいと言っていた。わたしより若そうだなと思ったとおり、歳はわたしよりいくつか下だった。インスタグラムを交換すると、最近Tempalayのライブに行ったらしかった。

 れんげはお酒を飲んでも酔わない。アルコールの許容量を知っているのだと思う。わたしが記憶をなくすくらいの飲み会でも、れんげは大概のことを覚えている。わたしはお酒が絡むとき、日付を越えると朝にはほとんどすべてを思い出すことができない。なんとなく、楽しかったとか、どんな話をしたか、その程度。だかられんげをうらやましいと思うときがある。ある種、お酒が弱いのかもしれない。今晩もビールを1缶飲めずに、わたしにくれたのだった。

 夏の頃まではうちによく遊びに来ていたが、2人で会うのは本当に久々のことだったので、渋谷駅のC-2出口で合流したときは、ずいぶんと高揚した。れんげと会うのはこの渋谷の裏側が多い。れんげはこのあたりに小さい頃の思い出があるらしかった。クリスマスが近いからか、街は電飾と行き交う人によってキラキラと光を帯びていた。れんげはその感情のまま、かわいいとたくさん言って写真を撮っていた。れんげは着飾った言葉を使わない。よく見慣れた赤と黄のロゴのハンバーガー屋さんで、れんげはわたしの話をうんうんと聞いてくれたり、わたしはれんげの話をうんうんと聞いたりした。ポテトとナゲットをテーブルいっぱいにひろげて、忘年会だねってはしゃいだ。れんげは「もっと前から出会っていたような気がする」って言った。わたしもおなじように思った。

 わたしたちは、終電が近づいてくると「あるひと」の話をする。奥の方にしまっておいたものを、箱からそっと出すかのように。あるいは、腫れ物を触るかのように恐々と。わたしはこの話題について、ずっと先で、もっと大人になってから答え合わせをしたいと思っている。3人で。この話はブログでもいつか残したいと思っているので今回は割愛する。

 わたしたちのお気に入りの喫煙所でいつものように煙草を吸い、れんげはJRに乗って終電前には帰っていった。れんげを例えるなら煙。いつのまにかまとわれて、気づいた頃には消えている。わたしにとって必要。スピリチュアル的なものを言っているつもりはないが、彼女はわたしにとってそういう存在だ。

 

 互いの名前が仏花なのも、類は友を呼ぶ、といえるのではないか。「わたしたちなんだか神々しいね」って、笑っていてね。

 

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いつかの

 

このブログを親愛なるれんちゃんと

ちゃおでお手紙を書いたあの日に捧ぐ